はじめに
「ソーヴィニヨン・ブランといえば、グレープフルーツやパッションフルーツのような爽やかな香り」
──その香りの中心にあるのが、揮発性チオールのひとつ 3MH(3-メルカプトヘキサノール) です。
この記事では、3MHの化学的特性から、
酸化に対する脆弱性、そしてサンセールとニュージーランドという二大産地のスタイル比較まで、科学と文化の両面からプロ向けに解説します。

1. 3MHとは何か?
- 化学的分類:揮発性チオール(硫黄化合物)の一種です。しばしばテルペンと混同されますが、実際には異なるカテゴリーに属します。分子式は C6H14OS です。
- 香りの特徴:パッションフルーツ、グレープフルーツ、トロピカルフルーツを思わせる強いアロマをもたらします。
- 前駆体:ブドウの中では無臭のシステイン結合体やグルタチオン結合体として存在し、酵母がアルコール発酵の過程でこれを切断することで、遊離した3MHが香りを生み出します。
- 生成条件:低温発酵(12〜16℃)や還元的な環境で多く生成します。発酵温度が高すぎると揮発して失われやすい点も特徴です。
💡 科学的ポイント:3MHはごく微量でも人が強烈に感じ取ります(閾値が非常に低い)。つまり、ほんの少しの変化がワイン全体の印象を大きく左右するのです。
2. 3MHと酸化の関係
酸化に極端に弱い:
3MHは酸素と反応すると急速に失われ、無臭あるいは望ましくない硫黄化合物へ変化してしまいます。
→つまり、”ソーヴィニヨンブランらしい”香りを維持するには徹底的に酸化を阻止することが有効です。
- SO₂の役割:【3MHを守る】SO₂は酸素やアルデヒドと結合することで、3MHを間接的に守ります。
- 容器と閉栓:スクリューキャップは酸素透過率が低いため、3MHの保持に非常に有効です。
一方で、コルクは微量の酸素を透過するため、3MHが減少しやすくなります。 - 輸送と保存:熱や振動によって酸化が進むため、ソーヴィニヨン・ブランの香りで勝負したい生産者(例えば、ニュージーランド)は特に3MHを守ることを意識して、収穫から瓶詰めまで徹底的に酸化を防いでいます。
💡 科学的ポイント:SO₂を添加しないソーヴィニヨン・ブランでは、数週間のうちに3MH濃度が急減し、アロマが失われることが実験的に確認されています。
3. 産地別スタイルの比較(一般的な傾向)
- 哲学:香りの強さではなく、石灰質土壌由来のミネラル感やテクスチャーを重視します。
- 醸造スタイル:酸化をあえて完全には避けず、熟成による厚みを狙います。SO₂の使用量も控えめな蔵も少なくない。
- 結果:3MHによるトロピカルアロマは穏やかですが、余韻に残る「石のような」ミネラル感が食文化と見事に調和します。
- 哲学:グラスからあふれるほどの鮮烈なアロマで世界を魅了します。
- 醸造スタイル:酸化を徹底的に排除(SO₂の適切な使用、還元的環境、低温発酵、スクリューキャップ必須)。
- 結果:3MHを最大限に保持し、パッションフルーツやライムのアロマが爆発的に広がるスタイルになります。
💡 比較の本質:同じソーヴィニヨン・ブランでも、サンセールは「味わいの質感」を楽しませ、ニュージーランドは「香りの鮮烈さ」を前面に出す。
まさに3MHへの向き合い方の違いが、スタイルの個性を生み出しているのです。
4. 産地別まとめとバイヤー視点の体験談
項目 | サンセール(ロワール) | ニュージーランド(マールボロ) |
---|---|---|
哲学 | 香りよりもミネラル感や舌触りを重視 | 爆発的なトロピカルアロマを最優先 |
醸造スタイル | 酸化を完全には避けず、熟成で厚みを狙う | 徹底的に酸化を排除(SO₂、低温発酵、スクリューキャップ) |
SO₂の使い方 | 控えめに使用、酸化と調和を許容 | 積極的に使用し、香りを守る盾として活用 |
香りの特徴 | 穏やかな柑橘、ハーブ、石のニュアンス | パッションフルーツ、ライム、グレープフルーツの鮮烈さ |
結果のスタイル | 食事と調和する余韻重視のワイン | グラスからあふれるアロマが特徴の国際的スタイル |
- サンセール:
現地で飲むと香りは控えめですが、牡蠣や山羊チーズと合わせると驚くほど引き立ちます。
香りそのものよりも「食中での調和」が真髄です。
生産者の方とお話するとき、「サンセールは香りじゃない。味を楽しむんだ。ソーヴィニョン・ブランだからって酸化を極端に恐れてはいない。」と言われ、目から鱗が落ちた思いでした。
- ニュージーランド:
入荷時に少しでも温度管理を誤ると、香りが一気にしぼんでしまいます。輸送リスクに敏感な生産者の姿勢から、3MHをどれだけ重視しているかが伝わってきます。
5. サンセールとニュージーランドの科学的条件比較
項目 | サンセール(ロワール) | ニュージーランド(マールボロ) |
---|---|---|
発酵温度 | 中温(15〜20℃)でテクスチャー重視 | 低温(12〜16℃)で香り保持 |
発酵環境 | ある程度酸化を許容(古樽や中性容器使用) | 還元的環境を徹底(ドライアイス、不活性ガス) |
SO₂使用 | 控えめ、酸化と共存させるアプローチ | 仕込み〜瓶詰めまで適切に添加し香りを守る |
閉栓方式 | コルク主体(微量酸素透過で熟成を狙う) | スクリューキャップ主体(酸素透過率を極小化) |
香り保持の戦略 | ミネラル感・厚みを前面に出す | 3MH・3MHAを最大化し鮮烈なアロマを維持 |
6. 誤解と注意点
- 「香りが強い=良いワイン」とは限りません。サンセール的なスタイルを香りだけで判断すると誤解につながります。
- 「ナチュラルワインだからSO₂を使わない方がよい」という考え方は、3MHの保持という点では大きなリスクです。
- 3MHは“価値そのもの”ではなく、土地の哲学や文化を表現するための手段です。
7. まとめ
ソーヴィニヨン・ブランを特徴づける香り成分3MHは、酸化に弱い非常に繊細な存在です。
その保持にはSO₂やスクリューキャップといった科学的工夫が不可欠です。
一方で、サンセールのように3MHを前面に出さず、ミネラルやテクスチャーを重視するスタイルもワインの本質をよく表しています。
つまり3MHは「ワインの価値」ではなく、その土地の哲学を映す鏡なのです。 科学と文化の両面を理解することで、ソーヴィニヨン・ブランをより深く楽しむことができるでしょう。



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